Serbia

チーム崩壊へ

モンテネグロの独立の雰囲気が徐々に高まる中、2003年セルビア・モンテネグロが誕生します。ユーゴスラビアはこれに伴って消滅。その年、スウェーデンで開催されたユーロバスケット2003ではユーゴスラビアを継承する形でセルビア・モンテネグロとして出場しますが、(ユーゴの継承国家として連覇のかかった大会だったけれど)決勝トーナメントでリトアニアに負けて6位に終わることに。ディバッツの代表引退や、ボディロガの不参加、トルコ戦で怪我をしたP.ストヤコビッチがリトアニア戦に出られなかったことが響くことになりました。

建て直しを図るべく2004年、ヨーロッパで成功しているコーチのひとりである名将Z.オブラドビッチを再び代表ヘッドコーチに。P.ストヤコビッチは代表辞退したもののD.ボディロガが代表復帰。しかし、アテネオリンピックでも散々な成績に終わることに・・・。初戦のアルゼンチン戦ではジノビリにブザービーターを決められ劇的な逆転負け、イタリアに辛勝したものの、ニュージーランド、スペインに負けて連敗。決勝トーナメント進出をかけた中国との試合では、接戦の末最後は逃げ切られてしまい、トーナメントに進むことなく敗退が決定。

オリンピックでの汚名を返上しようと挑んだ地元セルビアで開催されたユーロバスケット2005ではイリミネーションラウンドでフランスに負けて世界選手権の切符を得ることなく終わります。そのために、協会長は責任を取って退任、Z.オブラドビッチは2度とナショナルチームの采配はしない!と表明。不振の原因はチーム内で起こったI.ラコセビッチとM.ヤリッチの確執だったとか。自力での世界選手権出場はなくなったものの、過去の国際大会の成績などが認められワイルドカード枠で世界選手権への切符は何とか手にするという形になりました。

世界選手権2006では予選ラウンドをなんとか突破するもののスペインに負けて、連覇どころか特に印象を残すこともなく敗退。なお、NBAからの参加したのはD.ミリチッチのみ。ストヤコビッチ参加の可能性もあったものの、最終的には代表を辞退しました。この大会後、D.サコタHCは辞任。

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